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設立の経緯
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の災害対応現場で得た知恵や教訓を収集し、記録し、発信し共有することは、今後各地での災害対応をより円滑にしていくためにきわめて重要なことと考えました。
そこで、今回の災害対応で蓄積された経験と教訓を関係者の間で共有するとともに、次の災害では経験者としてアドバイスをする、あるいはノウハウを提供する人的なつながりの拠点の一つとしたいと思い、新潟県中越地震の災害対応関係者のネットワーク組織として「中越大震災ネットワークおぢや」を設立しました。
そこで、今回の災害対応で蓄積された経験と教訓を関係者の間で共有するとともに、次の災害では経験者としてアドバイスをする、あるいはノウハウを提供する人的なつながりの拠点の一つとしたいと思い、新潟県中越地震の災害対応関係者のネットワーク組織として「中越大震災ネットワークおぢや」を設立しました。
会長あいさつ
中越大震災ネットワークおぢや
会長 丸山久一
(長岡技術科学大学 名誉教授)
「昨日の続きで今日を過ごし、明日もまた同様な生活が続く」と何気なく日々を過ごしていますが、直接に災害を受けて初めて、何気ない日常生活が如何に大切であるかが分かります。
小千谷に生まれ、小千谷で過ごしている私たちも、平成16年10月23日までは、十年一日のごとく明日が来るのを疑いも無く生活していたと思います。勿論、冬の豪雪にはしばしば見舞われましたが、それは四季の一つの現象として受け入れていました。平成7年1月の阪神・淡路大震災も、その他の地震や洪水、台風等の災害も、他所で起きるのはどうしても他人事としてしか受け取れませんでした。
平穏な一日が終わろうとしていたその時、全く予想もしていない災害に出会い、連続していた日常生活が断ち切られました。小千谷をはじめ、新潟県中越地域の人々がパニックに陥ったのは無理も無いことでした。身の回りで起きたこと、目に見える範囲で起きたことしか分からず、揺れに任せるしかない状況でした。
1時間、2時間してようやく我に返り、被災の現状を受け入れるとともに、次に何をしなければならないのかを考える余裕が出てきました。ただし、ほとんどの人々にとって初めての経験で、何をどうしてよいか全く分からない状態でした。これは、個人のみならず、行政(市町村)でも全く同様でした。ただただ混乱していたというのが実情です。
そのような状況の時、非常に頼りになったのが、被災からの復興経験を持っている関西地方からの支援に来て頂いた方々、とりわけ、京都大学や富士常葉大学の研究者のグループの方々でした。地震発生の翌日から小千谷に来られ、当面の対策、復旧・復興への道標を示すとともに、一緒に活動して頂きました。
同時に、各地域の行政に携わる方々からもボランティアで支援に来て頂き、その経験を基に多方面で活躍して頂きました。被災地では、行政に携わる人々も被災しています。したがって、通常の業務も大きく混乱しているのです。そのような状態で、行政の実務に慣れている方々の支援は、何にも勝るものでした。
自力での復旧が軌道に乗り、他の行政機関からのボランティアの支援も不要になった頃、「中越大震災ネットワークおぢや」の構想が立ち上がりました。支援を頂いた方々への御礼も兼ねて、連絡先をまとめるとともに、今回の経験をよりよく生かす方法の一つと位置づけました。“災害も、今日は他人事でも明日は我が身”を、身をもって体験された人々の連帯を構築しようとしたのが「中越大震災ネットワークおぢや」です。
地震の1年後に第1回の会合を開き、以来、毎年1回、総会と研修会を開いて、連携を深めるとともに、災害時の対策技術の向上を図っています。現在までに70の行政機関から参加して頂いており、これまでにも、能登半島地震、新潟県中越沖地震、岩手・宮城内陸地震等の際にネットワークの機能を十分に果たしております。
最後に、本会に全国各自治体の皆様よりご加入いただきますことを心よりお待ちしております。
会長 丸山久一
(長岡技術科学大学 名誉教授)
「昨日の続きで今日を過ごし、明日もまた同様な生活が続く」と何気なく日々を過ごしていますが、直接に災害を受けて初めて、何気ない日常生活が如何に大切であるかが分かります。
小千谷に生まれ、小千谷で過ごしている私たちも、平成16年10月23日までは、十年一日のごとく明日が来るのを疑いも無く生活していたと思います。勿論、冬の豪雪にはしばしば見舞われましたが、それは四季の一つの現象として受け入れていました。平成7年1月の阪神・淡路大震災も、その他の地震や洪水、台風等の災害も、他所で起きるのはどうしても他人事としてしか受け取れませんでした。
平穏な一日が終わろうとしていたその時、全く予想もしていない災害に出会い、連続していた日常生活が断ち切られました。小千谷をはじめ、新潟県中越地域の人々がパニックに陥ったのは無理も無いことでした。身の回りで起きたこと、目に見える範囲で起きたことしか分からず、揺れに任せるしかない状況でした。
1時間、2時間してようやく我に返り、被災の現状を受け入れるとともに、次に何をしなければならないのかを考える余裕が出てきました。ただし、ほとんどの人々にとって初めての経験で、何をどうしてよいか全く分からない状態でした。これは、個人のみならず、行政(市町村)でも全く同様でした。ただただ混乱していたというのが実情です。
そのような状況の時、非常に頼りになったのが、被災からの復興経験を持っている関西地方からの支援に来て頂いた方々、とりわけ、京都大学や富士常葉大学の研究者のグループの方々でした。地震発生の翌日から小千谷に来られ、当面の対策、復旧・復興への道標を示すとともに、一緒に活動して頂きました。
同時に、各地域の行政に携わる方々からもボランティアで支援に来て頂き、その経験を基に多方面で活躍して頂きました。被災地では、行政に携わる人々も被災しています。したがって、通常の業務も大きく混乱しているのです。そのような状態で、行政の実務に慣れている方々の支援は、何にも勝るものでした。
自力での復旧が軌道に乗り、他の行政機関からのボランティアの支援も不要になった頃、「中越大震災ネットワークおぢや」の構想が立ち上がりました。支援を頂いた方々への御礼も兼ねて、連絡先をまとめるとともに、今回の経験をよりよく生かす方法の一つと位置づけました。“災害も、今日は他人事でも明日は我が身”を、身をもって体験された人々の連帯を構築しようとしたのが「中越大震災ネットワークおぢや」です。
地震の1年後に第1回の会合を開き、以来、毎年1回、総会と研修会を開いて、連携を深めるとともに、災害時の対策技術の向上を図っています。現在までに70の行政機関から参加して頂いており、これまでにも、能登半島地震、新潟県中越沖地震、岩手・宮城内陸地震等の際にネットワークの機能を十分に果たしております。
最後に、本会に全国各自治体の皆様よりご加入いただきますことを心よりお待ちしております。